Blog 01. 星と宇宙

004

Star

#004 「星座」ってなに?

はじめに

みなさん、夜空を見上げたら何しますか?

明るい星を見つける
淡い期待を込めて流れ星を探す
・・・・ 
他には??

え? なになに?
「星座」探すって!!

そもそも「星座」ってなんだろう??
って考えたことはありますか?

今回は、そんな「星座の歴史」のお話。最後までお付き合いして頂けたら嬉しいです!

目次
 1「星座誕生」のキッカケ
 2「星座」の発展
 3「星座」戦国時代
 4「星座」の今


「星座誕生」のキッカケ

 時は遡ること、紀元前3,000年(=約5,000年前)。場所は、メソポタミア南部のバビロニア。現在のイラク、チグリス川とユーフラテス川の2つの川の流域にあたる、この場所での記録が星関係では最古らしいです。ということで、ここバビロニアから「星座」の歴史はスタートします。(もっと古い記録が見つかれば変わります。)

この地域は、定期的な川の増水を利用した灌漑(=人工的に河川などから水を供給すること)という方法で、高度な農業が行われてたそうです。

やがて、この土地に都市国家を築いたシュメール人が農作業の種まきや収穫の時期に、いつも同じような明るさ星が、同じような形で夜空に見えることを気づきました。

そして、その明るい星同士を線で結んで動物や神々の姿を描いていった、というのが「星座」のルーツとされています。「星座」が作られて以降、農作業の種まきや収穫の時期を知る目安として、また「季節」の変わり目を捉える目印として「星座」が使用されていた、と今では考えられてるそう。

生活(=農作業)と関係してると後世に伝えるよね。この伝達が世代が変わっても受け継がれてたってすごいな。「星座」が種蒔きや収穫時期を知らせる「カレンダー」や「時計」のように使われていた、ということを教えてくれるエピソードにもなってるね。

さらに興味深いのは「星占い」もこの時期、この場所で始まったと言われてること。この星占いの話は、また別の機会にしていきたいと思います。

余談 「星座の歴史」の紐解き方
この土地の支配者は
シュメール人(メソポタミア文明)
アッカド人 
アムル人  (古バビロニア時代)
と移り替わっています。そして、遺跡発掘っていう子ども心くすぐっちゃうやつをバビロン近郊で行なった際に発掘された粘土板(古バビロニア時代)に星座名が書かれているそうです。それもシュメール語で。これが「メソポタニア文明のシュメール人」が「星座」のルーツ、と考えられている所以です。決定的な証拠ではないみたいなので、気になったら、研究してみてください。これみた学生さんが「星座のルーツとは」って感じで大学の卒論テーマにしてくれると嬉しいです。笑

余談 惑星について
 ちなみに、この時代に星座の中を不規則に動き回る星の存在にも気づいてたそうです。当時、その正体は、わかってなくて星座の中を戸「惑」って動き回る「星」という意味で「惑星」と名付けられたそうです。のちに、この「惑星」の正体は火星や木星であることが判明します。こんな感じで科学って「正体不明」のものに、「発見当時の不思議さ」を連想させる名前が付けられる傾向があります。
 正体がわかると、「全然違うやん」って思うこともありますが科学ってそんなもん。今「ブラックホール(=黒い穴)」っていう「正体不明」のものがありますが全容が解明されると、実は「黒い穴」とは全然違うものになるかも!?

「星座」の発展

 時は紀元前8世紀、四大文明(メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・中国文明)から、しばらく遅れて発展した、古代ギリシャ文明まで時間を飛ばします。

えいっ!

やってきました、古代ギリシャ文明。
一瞬で時代飛ばせるって、ブログすごっ

この時代は実に奥深いです。

余談 古代ギリシャ
世界遺産「パルテノン神殿」は古代ギリシャ文明時代の代表的な建築物。一度、観にいってみたいなぁ!また、ギリシャ各地に独立した都市国家(ポリス)が1,000以上でき、中でも有名なのが「アテネ」と「スパルタ」という都市国家。

アテネは、現在のギリシャの首都。当時アテネ市民は奴隷(=モノいう動物、と呼ばれていた)を所有して仕事を全て奴隷にさせていたため、市民は広場(アゴラ)に集まって、暇つぶしに議論を重ねたみたい。その議論が発展していって、「高度な哲学」へと昇華していったらしい。

ソクラテス、プラトン(ソクラテスの弟子)、アリストテレス(プラトンの弟子)といった、歴史に名を残す哲学者がアテネで育ったのも、この環境(=奴隷に仕事をさせていた環境)によるものとされているみたい

スパルタは周辺のポリスを侵略する目的で厳しい軍事訓練が課せられていたらしい(7−30歳まで)。これが「スパルタ教育」の語源になっているっぽいです

他にも、もっと「巨人の肩に乗れる」出来事があるので気になったら、調べてみてください。 

さて、話を「星座」の戻します。

メソポタミア文明で生まれた「星座」は、時を経て、古代ギリシャ文明に伝わりました。ここで、皆さんがプラネタリウムでよく聞くギリシャの神話と「星座」が結びついたらしいです。それらをまとめて書物「メガレ・シンタクシス」として残したのが古代ギリシャの天文学者「プトレマイオス」(英名 トレミー)。

後に、書物「メガレ・シンタクシス」はアラビア語に訳され「アルマゲスト」という書物で中世ヨーロッパに広く知れ渡ることに。この「アルマゲスト」の中に「星座」の記述があり、その時、記された数が「48星座」だったので、現在「トレミー48星座」と呼ばれています。

ギリシャ神話と結びつきの強い星座はこうして生まれました。ただ、「北半球から見える星座」に限定されていたらしい。そりゃそうだよね、だってプトレマイオスらは「北半球」に住んでる人。だから、観測場所が「北半球」限定だもんね。

では、「南半球から見える星座」ってどうなってんの?ってことですが、船で世界中の移動ができるようになった、大航海時代(15世紀)まで、時代が飛びます。

「星座」戦国時代

 古代ギリシャ文明から1,500年以上経った、15世紀の大航海時代、大型船を利用して、遠方との貿易が盛んに行われるようになりました。それまでの間、「トレミー48星座」が使用されてたみたい。
すごい!!

(西洋人が)赤道を越えて南半球まで航海に出ると書物では今まで記されていなかった南半球の星を航海士が目にするようになりました。これをキッカケに「トレミー48星座」が改めて見直されるように。

1603年、バイエルが著書「ウラノメトリア」で南天の星座を描き「バイエル星座」として広まって以降、天体望遠鏡の発明の時期とも重なって、様々な天文学者が、続々と新しい星座を設定していきました。

自分の愛するネコを記念して「ネコ座」を作ったり、オリオン座を「ナポレオン座」に変える動きがあったり
王族貴族に献上する目的で星座を作ったり、2つの星座にまたがる星があったり、境界線が好き勝手に決められたり、自由気ままに設定していったそう。

これは混乱するね。。。
誰かルール作らないと。

余談 南半球の星座
「南半球の星座」は、15世紀以降に作られていった、という時代背景もあり、南半球の珍しい動物や航海に必要な器具が名付けられていることが多いようです。「南半球の星座」にギリシャ神話がないのは、星座作成者がギリシャ人ではないかららしい。

「星座」の今

 「星座」が「自由」に設定され、天文学会は大混乱。そこで、1928年、国際天文学連合(IAU)は「トレミー48星座」をベースに星空を区画整理して、88個にまとめました。

これが今日私たちが使っている「88星座」になります。
 北半球 28個
 黄 道 12個
 南半球 48個

この「88星座」については、自分の主催する「星空教室」でお話ししていきたいとおもいます!